自由って死ぬほどめんどくさい

大学に入って一年たった。

2年生になった。

大学は自由だ、しかも入学と同時に一人暮らしも始めたので生活も自由になった。

一年間自由になって感じたのは自由ってめんどくさい。

大学生活は授業も選べれば、服装も選べる。

一人暮らしは食いたいものを食いたいだけ食えるし、大好きなテレビも、大好きな深夜ラジオも気兼ねなく楽しめる。

はっきり言って三日で飽きる。

そして、面倒くさくなる。

夕飯の献立はめんどくさいし、別に着たい服もない。乾いた順に着ていた。

中でも一番嫌なのは大学の履修登録

時間割を自分で立てるのだ、これがまたクソほどめんどくさい。

あれをとらなきゃ、あれをしなきゃ、どれをとれば良いのか。

仕舞いには、いい男がわからなすぎて一人で泣いた。

それを一年の時マスターしときゃあ良いのに、理解しきらなかったから、数日前に、一年ぶりに全く同じはめになるのだ。

 

こんなはずじゃなかった。

そう思うことが多くなっていた。

そんなとき、授業で先生が「人は自由のメリットしか見ない傾向がある」と言っていた。

興味をもってよく聞いていたら先生は

「不自由ってのは選択肢がない、自由ってのは選択肢がある。たったそれだけの違いなのに、人は自由にはそれ以上あると思ってるんだよね」と言っていた。

なるほどと思った。

自分は自由のメリットばかりに気をとられて、デメリットなんて考えもしなかった。

しかも自由になればそれ以上の何かがあると思っていた。

違う、自由を理解した上で使いこなせた人間こそが、それ以上にたどり着けるのだ。

自由と自分勝手をはき違えていた。

自分自身を理解していない自分になんとなく腹が立った。

これからは重々承知で自由を楽しみたい。

 

プロレスしよーぜ

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ここ一年ぐらいだろうか、近年まれにみるプロレスブームだ。
なにせ私もプロレスが好き。
好きになったのは確か中学生のとき、
友達のKくんから勧められ、ワールドプロレスリングを見始めたのがきっかけだった。
その頃はまだ新日も不遇の時代で、会場は空席が目立っていた。
その頃から見ているので、メディアで取り上げられるのは嬉しいのだが、なんとなく、なんかなあ~という感覚である。
それといのも、必ず取り上げられるのはプ女子の存在。
女性でも好きな方は昔から好きな方はいたし、それは昔より増えただろう。
だけど、それだけではない、血のにじむような団体の努力などがあるから、一概にそれだけを取り上げるやり方になんとなく、納得がいかないめんどくさいファンなのだ。
そんな影響もあるのか、最近は形だけのプロレス表現が多い気がする。なにかとプロレスという表現が使われてる、プロレスという本質を知らないで。

でも、この人は違った。自分の担当するグループに訳も分からないまま、ミスマスカラスの如くマスクを被せ歌を歌わせ、凶器を振り回させる。
グレートムタのセコンドにつけさせ、毒霧を吹かせる。
自身もレスラーとなり、担当アーティストのライブでリングをたてプロレスをする。
そう、ももクロのプロデューサー川上アキラ氏である。
根っからのプロレスファンで、ももクロに「お前等は猪木だ!」とゲキを飛ばす。果たしてこの会話を世間の何割が理解するのか笑

昨年出版されたももクロ×プロレスという本。
この本は試合と題してももクロメンバーが一人ずつ、プロレス界のレジェンドや今をトキメクスター選手、女子プロのチャンピオンまで多種多様な方々と対談をすると言う内容だ。

この本の最後の試合で川上氏と著者の小島和宏さんの対談が組まれている。
そこで小島さんが川上さんのプロレス的な演出手法を
「本物」を配するのが大事
と語っていた。
近年メディアでは何も知らないまプロレスを表現しようとすることが多い。だけどそれではダメなんだろう。
確かにゴールデンでプロレスをやらない今は分かり難いことも多いし、自分自身興味を持ったときにはゴールデンでは放送してなかった。
だけど、伝える側がそれを怠ったら終わりなきがする。

それは確かに、ライブに越中詩郎さんを呼んできてヒップアタックをしてもらうより、
滑舌が悪いと笑ってたり、バカにするほうが伝わりやすいだろう。
でも、ダメなんだそれじゃあ、やる側が分からないかぎり、プロレスを触ることは。

自身の好きなオードリーの若林さんが「自分がライブでお客さんに楽しんでかえってもらおう。と思ったのは生でプロレスをみた後」とラジオで語っていた。
本物を見て、感じて、敬う。これは本当に大切なんだろう。
目先のおもしろさよりも人生観を変えてしまう存在がプロレスである人がこの世界にはまだたくさんいるのだろう。
そんな本物にこだわったももクロにまんまとはまったのが私。だから、川上さんにはこれからも続けて欲しい。殆どが知らない外国人選手を連れてこようが、その本物志向に誰かしらはついて行くだろう。

ライブにまつわる話~YAZAWAに夢見た50の親父と落選に嘆く息子~

最近はテスト期間ばかりでストレスがたまる。

そんな中でも楽しみなのが私の推しのももクロ高城れにちゃんのソロコンの当選発表だったが結果は見事に落選した。

狭き門だとわかりつつも落ち込むものは落ち込み、テスト勉強など身が入らない。

いつからこんなに現場にこだわるようになったのだろうか、

初めてライブというかももクロを生で見たのは高校二年生の夏、高校生クイズの時だった。

ももクロ自体は中学生の頃から好きだったが、お金がなかったことや当時山梨に住んでたこともありなかなか現場には行けなかった。(地元でやるライブは落選)

高校生クイズは無料で参加できて夏休みと言うこともあり、参加することにした。

初めて生で見るももクロはとにかく凄かった。

今まで画面を通してでしか見ることのできなかった大好きな人たちが目の前に居ると言うことがとにかく嬉しかった。

なんというか、点と線がつながって、今まで信じてきたものの確認ができた気がした。

それからちょいちょいももクロの現場には行くし、行きたいとより思うようになった。

ライブと言えば去年こんな話があった。

うちの父親は生粋の矢沢永吉ファンだ。

父曰く小学6年生の時にテレビで初めて矢沢さん(その当時はキャロルのメンバー)を見て、「世の中にこんなかっこいいものが存在するのか!」と衝撃を受け、そこから約50年近く矢沢ファンらしい。

そんな父も忙しい人生を送ってきたらしく矢沢さんのライブに一度も足を運んだことがなかった。

昨年、同じく矢沢ファンの兄が地元で行われたスウィートラブシャワーという音楽フェスに矢沢さんが来ると言うことで、親孝行として父を連れて行くことにした。

それを父に告げたときは目がきらきらして、なんとも嬉しそうな顔をしていたらしい。

ライブ当日、時間になり、とうとうライブが開始され、ステージに登場する矢沢さん。

兄曰く隣にいた父は会場で巻き起こる矢沢コールをするわけでもなく、叫ぶわけでもなく、ただ兄にプレゼントされたYAZAWAタオルをぎゅっと握りしめ、ステージに立つ矢沢さんを見つめていたらしい。

ライブ中は終始にこにこと少年のようなまなざしをしていたらしい。

終了後は「いやぁー、よかった、かっこよかった」と言って嬉しそうな顔をしていたらしい。

今年の年末地元に帰ったので父に感想を聞いたら

「曲数は短かったけど本当に良かった。」

「数曲でもこの曲がでた時はこんなことがあってとかいろんなことを思い出した。」

「ずっとあこがれてた人が50年の時を超えて見られたのは考え深いし、うれしいのひとことにつきるなぁ」

といいながら

「ライブのチケットってどうやってとるのかと」質問してきた。

なぜかと尋ねると、

「今度は武道館に行く、永ちゃんといったら武道館だから。これを見なければ死にきれないとあのとき思った。」といった。

続けて親父は「夢を見れた気がして嬉しい。この年になっても夢を見せてくれる永ちゃんはやっぱ俺の憧れだな。」と語っていた。

これを聞いてやっぱライブって爆発的な力を感じれる場所だなと思った。

50の父に半世紀越しに夢と希望を与えてくれた矢沢さんは本当に凄いと思う。

やっぱりアーティストってすごいな。

こんな思いを自分が落ちた分、れにちゃんのソロコンに行けることになったひとにはなんとなく感じてほしいなとは思う。

ぜひ、点と線をつなげるような思いをしてほしい。

まぁ、一般は応募するんだけどね。笑

 

長文駄文失礼します。

 

好きなもの②深夜ラジオ オードリーのオールナイトニッポン

前回の記事の好きなもの深夜ラジオ編の続きです。

 

ある日夜遅くまで起きていたとき、たまたま地元のAM局にチューニングを合わせていた。

深夜一時

流れてきたのは当時爆発的な人気を誇っていたオードリーのオールナイトニッポンだった。

しかし、聞こえてきたのは

           「オードリーの若林です。」

と、若林さん(当時、まだ世間ではオードリーの春日じゃない方ぐらいの認知のされ方だった。)のにやついた声と、スタッフの笑い声が聞こえてきた。そして若林さんは続けて、

 

      「春日さんは左足をトゥースしてしまいました。」

と、再びにやついた声で言った。

当時春日さんは、人気絶頂だったが、「俺たちクイズマン」という番組でワイヤーアクションをして左足を骨折し、入院することになった。人気者の骨折&入院は当時多くのワイドショーで取り上げられ、わたしも知っていた。

しかし、私が驚いたのは春日さんの不在ではなく、若林さんの対応だった。

相方不在の状況を謝るでもなく、説明するでもなく、茶化したのだ。

普通なら茶化したら怒られそうな所だがそこは若林さん。面白おかしく、骨折、入院を茶化していた。

病室にいる春日さんに電話をつないでは若林さんは、

  「大きな声でタイトルコールをしろ」

と病室にいる人にとてもするとは思えない注文をにやつきながら付け、

病室の布団をかぶりまあまあ大きな声でタイトルコールをした春日さんに対して、しまいに若林さんは

「病室で大声を出すことはいかがかと思う。」

と言い返していた。

それまではじゃないほうぐらいにしか考えてなかった若林さんの悪魔的な面白さに衝撃を受けた。

番組後半ではその悪魔的面白さがさらに加速していた。

ゲストにはなわさんとじゅんごさんを迎えて、春日さんの過去を暴露。

春日さんからやめてくれと言う電話をガチャ切りor放置。

放送ギリギリの過去を暴露。

 

腹が爆発ぐらい笑った。

オードリーン二人の面白さ、それまで知らなかった若林さんの面白さ、そして何より土曜深夜にこんな面白いものが放送されているのかという衝撃。

 

それから毎週オードリーのannを聞くようになった。

それ以外の深夜ラジオも

大げさでもなくオードリーのオールナイトニッポンは生活を変えてくれた、人生観を変えてくれた。

楽しくないと感じる日もたった二時間だけで楽しい気分にしてくれた。

 

というライフの話でした。

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好きなもの①深夜ラジオ

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 ブログを始めてまともに記事を書くのはこれが初めて、なので自己紹介代わりに数回にわたって自分の好きなものを紹介していきたい。

まず一回目は深夜ラジオ。

なぜ、私がラジオを聞くようになったかというと、きっかけは2009年にNHKFMで放送された今日は一日“SF・ヒーロー”三昧という番組だを聞いたのが始まりだ。

当時、無類の特撮好きだった小学生の僕は、この番組が放送されることをネットで知り、我が家の奥底に眠っていたラジカセを引っ張り出してきた。父親にチューニングのやり方を教えてもらい、数時間にわたる放送を聞いた。

そのとき素直に「ラジオってこんなにおもしれーんだ。」と感じた。

ラジオを聞いたことはあった、車の中、店の中で

だけど、自ら進んでラジオを聞いたのはこのときが初めてだった。

ここからラジオを聞く生活が始まった。

まずは地元の山梨のFM局であるFMーFUJIの平日夜9時から芸人さんたちがやっていたラジオを聞くことにした。

特に印象に残っているのはななめ45°さんとタイムマシーン3号さんのラジオだ。

ななめ45°さんは初めて送ったメールを読んでくれた上に私がそこら中で使っているラジオネームぽっくんを考えてくれた。

タイムマシーン3号さんはメールを読んでくれた上にカレンダーにサインを入れたものをプレゼンとしてくれた。

嬉しかった。初めての芸能人のサイン。

当時、小学生ないし、中学生が送ったつまらないメールを面白くしてくれる芸人さんを尊敬していた。

 

ある日、夜遅くまで起きていたとき、たまたま地元のAM局にあわせた。そこでたまたま聞いたラジオ。それがオードリーのオールナイトニッポンだ。

 

と長々と駄文を書くのもいかがかと思うので続きはまた別記事で。ありがとうございました。

 

 

はじめまして、はじめました

はじめまして、ぽっくんといいます。 ある方のブログを読ませていただき、「自分も良い文章を書きたい!」と触発され、ブログを開設しました。
少しばかり自己紹介をさせていただきますと

大学一年でこの春二年になります。
好きなものは
ももクロ(れにちゃん推し)
特撮
お笑い(特にオードリー)
深夜ラジオ
などetc
と、言うところっすね。
まあ、気長に下手な文でも読んでいってやってください。