大阪旅行

 

夏休みの三日間を使って大阪へ旅行に行った。

目的は二つ。普段からお世話になっている大阪在住の二人にお誘いいただき、その二人に会いに行くこと。もう一つは自分と、お世話になっている二人と、その二人の知り合いのかたの4人でアメリカのプロレスWWEの大阪興業を見に行くことだ。

 

キッカケ

 この旅行に行くことになったキッカケは前述にもあるように普段からお世話になっている二人に誘われたことだ。この二人は自分がTwitterで出会ったあるカップルで、自分とこの二人は驚くほど趣味嗜好が似ている。だから勝手に自分は親しみを込めて兄ちゃんと姉ちゃんと呼んでいる。姉ちゃんとは今年のももクロ春の一大事でお会いしたことがあり、そこから本当のお姉ちゃんのように慕っていた、一方兄ちゃんの方とは中々タイミングが合わずにずっと会えないままだったが、ずっと会いたいと思っていた人だった。

そんなある日、姉ちゃんから「中邑が出るWWEのチケットが取れたから、兄ちゃんと姉ちゃんに会いに来るついでに見に来ない?」と言うお誘いをいただいた。

正直最初は渋った。何でかというと、お盆に山梨の実家に帰れなかった分一週間の休日を取っていたのだが、姉ちゃんから誘ってもらった日と、実家帰郷のラスト3日ががっつりかぶっていたのだ。

「ラスト三日大阪に行くなんて言ったら親に面倒くさいこといわれるんだろうな」と思いつつも自分の心は大阪旅行に傾いていた。

色々調べていくこと数日、都内から夜行バスにや昼バスに乗って大阪に行くより、山梨から行った方が明らかに安いことや、無数の大阪グルメの画像を見たことや、まだ見ぬ兄ちゃんへの期待など数々の魅力が溢れだし、親の批判覚悟で大阪に行く覚悟を決めた。

とりあえず行くことを姉ちゃんに知らせ、それから母親に大阪に行く旨を伝えた。

しっかり怒られた。しかし、一通り怒られた後に「551を買ってきて、あれ美味しいから」と言われた。

免罪符が551の肉まんかよ、、、、、大阪旅行に行くことになった。

 

初日。まだ見ぬ兄へ

 出発の日の朝5時、バスが出る甲府駅に向かう電車に揺られた。7時頃甲府駅に着く。

流石田舎だ、県庁所在地の中心駅なのにコンビニしか開いていなかった。

閑散としたバス停でバスを待つ。乗客と思わしき人は数人。やけに老人が多い。

数十分後、バスが着く。

びっくりした、いくら昼バスとはいえ普通の観光バスだった。

あの、修学旅行で乗るようなやつ。

これで7時間か、と決心を決めバスに乗り込んだ。

乗ってみると案外快適だった。以外にも7時間のうち一睡もしなかった。

途中乗客のスマホからJアラートが一斉に鳴り響くと言うハプニングもあったが、あっという間に難波の高速バスターミナルに着いた。

とりあえず今日泊まるカプセルホテルに向かった。地下道をしばらく進み、町中に出る。町中を少し歩き、大通りに出ると目の前には道頓堀とグリコのでっかい看板。

あの大阪だ。テレビで見たことのあるあの大阪。

ミーハーのようにバシャバシャ写真を撮った。

そして、1ヶ月ぶりにインスタを更新した。

そこからちょっと歩いたところのアメリカ村に泊まるホテルがある。ホテルに着き、チェックインを済ます。

姉ちゃんとカプセルホテルの前で待ち合わせをし、姉ちゃんと合流した。

そこから姉ちゃんに大阪の町を案内してもらった。

夜の大阪の町は凄かった。きらびやかな町に無数のお店が並ぶ。

流石商業の街。

普段住んでいる千葉の住宅街とは明らかに違う町並みに心が躍った。

途中実家に送る免罪符551を購入し、居酒屋に連れて行ってもらった。

久々にあった姉ちゃんとのお話とお酒が進む。

不思議だ、本当の家族のような安心感がある。

しばらくすると、お仕事だった兄ちゃんが来た。

半年間ぐらい会ったこともないのに勝手に兄ちゃんと呼んできた存在はまさしく兄ちゃんだった。

何というか優しさがあふれ出てるような人。

心の中で「兄ちゃんじゃん!」と叫んだ

まさしくそれは兄ちゃんだった。

会ったことないのに絶妙に落ち着く感じ。

気づいた。この二人は天才的に優しいのだ。こんな初対面に近しい自分を甘えさせてくれるような雰囲気を作り出してくれる。

こんなに楽しくて良いのだろうか。そう感じるぐらい楽しかった。

いろんな話をしたし、聞かせてもらった。

自分は話をするのが苦手な人間だと思っていた。だけど自分ってこんなに話するのが好きだったんだな。

色々楽しい思いをさせてもらい。その店を出た。

ホテルまで二人が送ってくれた。

その道中も面白い話をしてくれた。その話と大阪の町並みが妙にマッチする。

「これが大阪か」

はじめてきた場所なのに何となく納得した。

ホテルについて二人と別れるとき一抹の寂しさを感じた。

明日も会えるのに。楽し過ぎたのだ。

小さいカプセルホテルの部屋に妙な寂しさと明日への期待を抱きながら入る。

明日はWWE、人生初のプロレス。

 

人生初のプロレスがWWE 

  二日目の朝、チェックイン期限より明らかに早く目が覚めた。

テレビをつけ、朝の情報番組を見る。コメンテーターも大阪ならではだった。

シャワーを浴び、待ち合わせの時間まで難波の街を探索することにした。

難波付近の御堂筋を歩く。

「筋って大阪独特の文化だよな」と思いながら歩く。

街には朝早くから人が溢れている。

自分のような観光客から、出勤するためにスーツを着たサラリーマン、サンバイザーをつけ、チャリに乗ったthe大阪のおばちゃん、セルカ棒をもったアジア系の観光客、そして見えない何かに叫び続け、片手に紙パックの鬼ごろしを持ったおじさん。

こんなおじさんも普段街で見かけたら警戒するのだろうけど、「大阪って懐広いな」と思い妙に納得してしまった。

喫茶店に入り、前々から気になって飲んでみたかったミックスジュースを頼んだ。

良い意味で予想外の味だった。ミルク感たっぷりのあの味。好物がまた一つできた。

喫茶店でダラダラしてると、兄さんからたこ焼き屋に来てとラインが来た。

朝からたこ焼きなんて大阪らしくてわくわくした。

たこ焼き屋に着くと兄さんと兄さんお知り合いの方が先に着いていた。姉ちゃんは後から送れてくると言う。遅れてくる理由が面白かったが、そこは個人情報なので。

初対面の方だったがとても優しい方で安心した。

たこ焼きを食べる。やっぱり本場の味は何か違う。その違いはよくわからなかったがとにかく旨かった。

姉ちゃんとも合流し、たこ焼きを食べ終わり試合が行われるエディオンアリーナに向かった。

道中、今日のWWEが自分にとって初プロレスだと言うことを伝えると、

「それってすげーアナキーだよ!?」と言ってもらえた。初プロレスがWWE

一つ持ちネタができた気がした。プロレス好きにしか伝わらないが。

会場に着くとかなりの人が溢れていた。中にはレスラーのコスプレをしている人もいて、その完成度に驚いた。

会場に入るともうそこはWWEの世界だった。

完璧に作られた会場はテレビで見るあの会場にそっくりだった。

試合が始まり、選手の予習とかはしてこなかったので名前などはあんまりわからなかったがちらほらと見たことのある選手が出てきた。

終始試合は英語で進むのだがそのエンターテイメント性が圧倒し十二分に楽しめた。

お目当ての中邑の試合も中邑ワールド全開で素晴らしかった。

中学生ぐらいからずっとプロレスが好きだった。そして何で好きだったかがわかった。

あのエンターテイメントの中でリアルな身体がぶつかり合う。

かっこよさしかないあの世界に自分は酔いしれていた。

プロレスのかっこよさを改めて知った。

 

面白い大人。酔っ払う。聞く。

プロレスを見た後、ご飯をかねて飲みに連れて行ってもらった。

一緒に行った方々が楽しくて、優しかったので自分も調子に乗って店に着くなり、空きっ腹にビールとハイボールを立て続けに入れた。

見事に酔っ払った。

他の肩に迷惑はかけまいと思い、トイレに飛び込んだ瞬間目がぐるぐる回り始め、気づいたらウォシュレットのパネルに頭をつけて床に座り込んでいた。

個室に誤作動した音姫の音がむなしく響く。

「こんなんで酔っ払ってられねぇ、もっと飲んで盛り上がらなくては」

と思い、少し正気を取り戻し、席へ戻ると、無理をしないようにと水をもらい、ウーロン茶を頼んでいただいた。

いつも行ってるような同世代のバカの大酒飲み大会とは違い、大人の気遣いと優しさを感じた。

会は進み、すっかりソフトドリンクにシフトチェンジした自分に少し酔った大人が色々な話を聞かせてくれた。

それを聞いた自分はお腹が痛くなるほど笑った。

正直に言うと自分より年上の人とお酒を飲むのはあまり好きじゃなかった。

嫌なものには嫌と言えず、酔った大人が語る武勇伝を語るどや顔もそれに対して愛想笑いしかできな自分にも腹が立つ。

凄く嫌だった。

でも、そんな概念を変えてくれたのはこの旅行の数ヶ月前に初めて姉ちゃんに会ったときだった。世の中にはこんな面白い大人がいるのかと感動した。

そして、この夜、自分の目の前にはおもしろい大人が3人いた。

自分の将来の夢は面白い大人になった夜だった。

 

通天閣のから見る景色

三日目の最終日、姉ちゃんと兄ちゃんにお好み焼き屋に連れって行ってもらった。

このお好み焼き屋さんも観光客が中々行けないような地元のお店でとっても美味しかった。

お好み焼きも美味しかったが特に焼きそばの美味しさにはびっくりした。

お好みも焼きそばもお店によってこんなに味が違いがあるかと少年は少し大人になった気がした。

お好みを食べ終わり、店を出てかねてから行きたかった新世界に連れて行ってもらうことにした。

新世界まで電車で向かうなか姉ちゃんと兄ちゃんは車窓から見える街を解説してくれた。

日雇い労働者がいっぱいいることで有名な西成が案外観光スポットになるような場所から近くて驚いた。

新世界につき、居酒屋さんへ連れて行ってもらった。

この居酒屋さんも中々観光客が行けないような地域密着型の居酒屋。

この店で食べた鱧の串カツ、南京の串カツ、ぬたの美味しさは今でも忘れられない。

思えば大阪に来てから色々とディープな店につれて行ってもらった。

これも自分一人の旅では味わえないと思い感謝した。

居酒屋を出て、通天閣に登ることになった。

通天閣の中に入ると、意外だったのはこんなに中が色々な施設があったのはびっくりした。流石商業の街だな。

エレベーターで展望台に上がると大阪の町が見渡せた。

煌びやかに光る観光都市のほど近くにさっき教えてもらった日雇い労働者たちが多く住む街も見える。

電飾が派手に光る小高いビルの近くに、ポツポツと明かりがともった団地や宿が見える。

東京だったらどうなんだろう。

一人暮らしがしたくて実家から離れた大学に入学した。

東京で暮らすのは少し怖いから限りなく都心に近い千葉の大学に入った。

これだけが全てじゃないけど、ちゃんとした学部希望もあったけど、

こんな気持ちがないといったら嘘になる。都会に近い生活に憧れていた。

でも、こんな生活すぐ飽きた。

自分が受け入れてもらえない気がした。

田舎者の自分が都心に近い街から排除されている気がした。

あっという間にホームシックに陥った。

嫌で出た山梨の地へ帰りたくなった。そんな自分も嫌になった。

そんな気持ちを一人暮らしを初めて数ヶ月間は持ってた。

そして、この引っかかりはずっと引きづることになった。所詮田舎者は排除される。

でも、通天閣から見下ろしたときその引っかかりが取れた気がした。

全てを受け入れてくれるようなこんな街を自分は望んでいたんじゃなかっただろうか?

今自分が住んでる場所か大阪かどっちが良いかなんて今の自分にはわからない。

でも気休めでもこんな場所が見たかった。

何か自分が生きていて良い気がした。

やっぱり大阪は寛大だ。

じゃなかったら筋のど真ん中で鬼ごろし片手に見えない何かに叫べないもんな。

 

憧れと帰宅

通天閣から出るともう帰りのバスの時間が近づいていた。

帰りのバスターミナルまでは兄ちゃんが送ってくれることになった。

バスターミナルに向かう駅で姉ちゃんと別れる。

別れ際に固い握手をした。凄くさみしい気持ちになったがなんだか明日も会えるような気がしてならなかった。

何でだろう。

別れ際にお土産をもらった。そのお土産の愛の深さに胸が異常に熱くなった。

反対のホームで昨日見た中邑の真似をし続ける姉さん。面白いはずなのにやけに悲しかった。

兄さんと二人になってからはいろんな話をした。

最近自分が兄さんにお進めした特撮の話とか、大阪の話とか、それこそ姉さんの話も。

こんなことを言えば怒られるかもしれないが、兄さんが姉さんを凄く尊敬してるのがわかった。

それってものすごいことだと思った。

男女のパートナーの中で尊敬し合えることって。

愛とかなんとか勿論そんなことはあたりまえで、それ以上に尊敬できること。

自分は一生独り身でいるものだと思っていた。一生彼女もできないし、結婚もしないだろうと何となく思っていた。

でも生涯尊敬できる人がいることに憧れを抱いた。

いつか誰かとあの二人のようになれたらなんて、自分でも虫ずの走ることを少し思った。

バスターミナルに着き、少し兄ちゃんと雑談をした。

そして兄ちゃんから餞別をいただいた。

それはコアチョコというアパレルメーカーのTシャツでキカイダーという特撮キャラがプリントされたもの。

これは自分が一年近く前から欲しかったもので、でもなかなか手を出せずにいたのですっごく嬉しかったし、兄ちゃんがこれを買ってきてくれたことに倍以上感動した。

そして、兄ちゃんとも別れるときが来た。

別れ際、ハグをした。

何だろうやっぱり安心するものを感じる。何年も前から自分をかわいがってくれていたような安心感。

バスターミナルの出口に向かう兄ちゃんの背中をずっと見ていた。

何度かこちらを振り返り手を振ってくれた。

どんどん小さくなる兄ちゃんの背中が悲しかった。

バスが来た。

行きのバスより値段が少し高かったから快適なバスだった。

でも、行きのワクワク感がなくなったからどっちみちチャラだった気がした。

バスの中で泣きそうになった。

泣きたくなるほど帰りたくない旅行なんて今までしたことがなかった。

ふと気づいた。寛大な大阪も好きだが、自分のことを受け入れてくれた二人がいる大阪が好きなことを。

こんな自分を受け入れてくれる人がいることが異様に嬉しかったんだ。

やっぱり寛大だ。

 

帰宅した豚まん

7時間帰路を終え山梨に着いた。

やっぱり田舎だった。

でもなんかほっとした。

実家に帰ると母が数日前に届いた免罪符551の豚まんを蒸してくれた。

完全に蒸し方を間違えていた。

パサパサになった皮の豚まんを食いながらいつかもう一回本場の551を大阪で食べることを自分自身で誓った。

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ぽっくんの由来

ぽっくん

この名前でツイッターもブログもラジオネームもやっている。

最近なぜぽっくんなのか?と聞かれた。

それは昔、FM-FUJI

ななめ45° レディオ de カーニバル

というラジオ番組をやっていた。

この番組は自分が初めてハマったラジオ番組で、後にラジオをよく聞くようになった番組だ。

そして、その番組に初めてメールを送り、初めて読まれた。その時のラジオネームは「とっくん」というもので、これは私が家族や友達からずっと呼ばれ続けていたあだ名だった。

私が住んでいた地域(ドが付く田舎)では電波が入るラジオ局が限られていたため、メールを読まれたその番組を多数の知り合いが聴いていて、自分のメールが読まれたことがあっさりばれた。

このままじゃ下ネタも送れないじゃん!!と思った僕は次の週にななめ45°の3人に

「ラジオネームをつけてください」と言うメールを送り、そこでぽっくんという名前をつけていただいた。

由来はたまたまその時おぼっちゃまくんの話をしていて、おぼっちゃまくんの一人称のぽっくんととっくんが似ているからという投げやりなものだった。

それから数ヶ月、その番組が終わることになった。

その番組の最終回でまたメールを読んでもらった僕にななめ45°の3人が

「また俺らがFMーFUJIで番組をやるまでこのラジオネームを使い続けてくれ!!」

という、お願いというか約束をした。

何回かは尖ったラジオネームつけたいなと思うが、いつもこのことが頭をよぎる。

ラジオ終了から6年一向にFM-FUJIななめ45°の番組が始まる気配がないが、いつかの約束のためにこの名前を使い続けている。

 

プロレスしよーぜ

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ここ一年ぐらいだろうか、近年まれにみるプロレスブームだ。
なにせ私もプロレスが好き。
好きになったのは確か中学生のとき、
友達のKくんから勧められ、ワールドプロレスリングを見始めたのがきっかけだった。
その頃はまだ新日も不遇の時代で、会場は空席が目立っていた。
その頃から見ているので、メディアで取り上げられるのは嬉しいのだが、なんとなく、なんかなあ~という感覚である。
それといのも、必ず取り上げられるのはプ女子の存在。
女性でも好きな方は昔から好きな方はいたし、それは昔より増えただろう。
だけど、それだけではない、血のにじむような団体の努力などがあるから、一概にそれだけを取り上げるやり方になんとなく、納得がいかないめんどくさいファンなのだ。
そんな影響もあるのか、最近は形だけのプロレス表現が多い気がする。なにかとプロレスという表現が使われてる、プロレスという本質を知らないで。

でも、この人は違った。自分の担当するグループに訳も分からないまま、ミスマスカラスの如くマスクを被せ歌を歌わせ、凶器を振り回させる。
グレートムタのセコンドにつけさせ、毒霧を吹かせる。
自身もレスラーとなり、担当アーティストのライブでリングをたてプロレスをする。
そう、ももクロのプロデューサー川上アキラ氏である。
根っからのプロレスファンで、ももクロに「お前等は猪木だ!」とゲキを飛ばす。果たしてこの会話を世間の何割が理解するのか笑

昨年出版されたももクロ×プロレスという本。
この本は試合と題してももクロメンバーが一人ずつ、プロレス界のレジェンドや今をトキメクスター選手、女子プロのチャンピオンまで多種多様な方々と対談をすると言う内容だ。

この本の最後の試合で川上氏と著者の小島和宏さんの対談が組まれている。
そこで小島さんが川上さんのプロレス的な演出手法を
「本物」を配するのが大事
と語っていた。
近年メディアでは何も知らないまプロレスを表現しようとすることが多い。だけどそれではダメなんだろう。
確かにゴールデンでプロレスをやらない今は分かり難いことも多いし、自分自身興味を持ったときにはゴールデンでは放送してなかった。
だけど、伝える側がそれを怠ったら終わりなきがする。

それは確かに、ライブに越中詩郎さんを呼んできてヒップアタックをしてもらうより、
滑舌が悪いと笑ってたり、バカにするほうが伝わりやすいだろう。
でも、ダメなんだそれじゃあ、やる側が分からないかぎり、プロレスを触ることは。

自身の好きなオードリーの若林さんが「自分がライブでお客さんに楽しんでかえってもらおう。と思ったのは生でプロレスをみた後」とラジオで語っていた。
本物を見て、感じて、敬う。これは本当に大切なんだろう。
目先のおもしろさよりも人生観を変えてしまう存在がプロレスである人がこの世界にはまだたくさんいるのだろう。
そんな本物にこだわったももクロにまんまとはまったのが私。だから、川上さんにはこれからも続けて欲しい。殆どが知らない外国人選手を連れてこようが、その本物志向に誰かしらはついて行くだろう。

ライブにまつわる話~YAZAWAに夢見た50の親父と落選に嘆く息子~

最近はテスト期間ばかりでストレスがたまる。

そんな中でも楽しみなのが私の推しのももクロ高城れにちゃんのソロコンの当選発表だったが結果は見事に落選した。

狭き門だとわかりつつも落ち込むものは落ち込み、テスト勉強など身が入らない。

いつからこんなに現場にこだわるようになったのだろうか、

初めてライブというかももクロを生で見たのは高校二年生の夏、高校生クイズの時だった。

ももクロ自体は中学生の頃から好きだったが、お金がなかったことや当時山梨に住んでたこともありなかなか現場には行けなかった。(地元でやるライブは落選)

高校生クイズは無料で参加できて夏休みと言うこともあり、参加することにした。

初めて生で見るももクロはとにかく凄かった。

今まで画面を通してでしか見ることのできなかった大好きな人たちが目の前に居ると言うことがとにかく嬉しかった。

なんというか、点と線がつながって、今まで信じてきたものの確認ができた気がした。

それからちょいちょいももクロの現場には行くし、行きたいとより思うようになった。

ライブと言えば去年こんな話があった。

うちの父親は生粋の矢沢永吉ファンだ。

父曰く小学6年生の時にテレビで初めて矢沢さん(その当時はキャロルのメンバー)を見て、「世の中にこんなかっこいいものが存在するのか!」と衝撃を受け、そこから約50年近く矢沢ファンらしい。

そんな父も忙しい人生を送ってきたらしく矢沢さんのライブに一度も足を運んだことがなかった。

昨年、同じく矢沢ファンの兄が地元で行われたスウィートラブシャワーという音楽フェスに矢沢さんが来ると言うことで、親孝行として父を連れて行くことにした。

それを父に告げたときは目がきらきらして、なんとも嬉しそうな顔をしていたらしい。

ライブ当日、時間になり、とうとうライブが開始され、ステージに登場する矢沢さん。

兄曰く隣にいた父は会場で巻き起こる矢沢コールをするわけでもなく、叫ぶわけでもなく、ただ兄にプレゼントされたYAZAWAタオルをぎゅっと握りしめ、ステージに立つ矢沢さんを見つめていたらしい。

ライブ中は終始にこにこと少年のようなまなざしをしていたらしい。

終了後は「いやぁー、よかった、かっこよかった」と言って嬉しそうな顔をしていたらしい。

今年の年末地元に帰ったので父に感想を聞いたら

「曲数は短かったけど本当に良かった。」

「数曲でもこの曲がでた時はこんなことがあってとかいろんなことを思い出した。」

「ずっとあこがれてた人が50年の時を超えて見られたのは考え深いし、うれしいのひとことにつきるなぁ」

といいながら

「ライブのチケットってどうやってとるのかと」質問してきた。

なぜかと尋ねると、

「今度は武道館に行く、永ちゃんといったら武道館だから。これを見なければ死にきれないとあのとき思った。」といった。

続けて親父は「夢を見れた気がして嬉しい。この年になっても夢を見せてくれる永ちゃんはやっぱ俺の憧れだな。」と語っていた。

これを聞いてやっぱライブって爆発的な力を感じれる場所だなと思った。

50の父に半世紀越しに夢と希望を与えてくれた矢沢さんは本当に凄いと思う。

やっぱりアーティストってすごいな。

こんな思いを自分が落ちた分、れにちゃんのソロコンに行けることになったひとにはなんとなく感じてほしいなとは思う。

ぜひ、点と線をつなげるような思いをしてほしい。

まぁ、一般は応募するんだけどね。笑

 

長文駄文失礼します。

 

好きなもの②深夜ラジオ オードリーのオールナイトニッポン

前回の記事の好きなもの深夜ラジオ編の続きです。

 

ある日夜遅くまで起きていたとき、たまたま地元のAM局にチューニングを合わせていた。

深夜一時

流れてきたのは当時爆発的な人気を誇っていたオードリーのオールナイトニッポンだった。

しかし、聞こえてきたのは

           「オードリーの若林です。」

と、若林さん(当時、まだ世間ではオードリーの春日じゃない方ぐらいの認知のされ方だった。)のにやついた声と、スタッフの笑い声が聞こえてきた。そして若林さんは続けて、

 

      「春日さんは左足をトゥースしてしまいました。」

と、再びにやついた声で言った。

当時春日さんは、人気絶頂だったが、「俺たちクイズマン」という番組でワイヤーアクションをして左足を骨折し、入院することになった。人気者の骨折&入院は当時多くのワイドショーで取り上げられ、わたしも知っていた。

しかし、私が驚いたのは春日さんの不在ではなく、若林さんの対応だった。

相方不在の状況を謝るでもなく、説明するでもなく、茶化したのだ。

普通なら茶化したら怒られそうな所だがそこは若林さん。面白おかしく、骨折、入院を茶化していた。

病室にいる春日さんに電話をつないでは若林さんは、

  「大きな声でタイトルコールをしろ」

と病室にいる人にとてもするとは思えない注文をにやつきながら付け、

病室の布団をかぶりまあまあ大きな声でタイトルコールをした春日さんに対して、しまいに若林さんは

「病室で大声を出すことはいかがかと思う。」

と言い返していた。

それまではじゃないほうぐらいにしか考えてなかった若林さんの悪魔的な面白さに衝撃を受けた。

番組後半ではその悪魔的面白さがさらに加速していた。

ゲストにはなわさんとじゅんごさんを迎えて、春日さんの過去を暴露。

春日さんからやめてくれと言う電話をガチャ切りor放置。

放送ギリギリの過去を暴露。

 

腹が爆発ぐらい笑った。

オードリーン二人の面白さ、それまで知らなかった若林さんの面白さ、そして何より土曜深夜にこんな面白いものが放送されているのかという衝撃。

 

それから毎週オードリーのannを聞くようになった。

それ以外の深夜ラジオも

大げさでもなくオードリーのオールナイトニッポンは生活を変えてくれた、人生観を変えてくれた。

楽しくないと感じる日もたった二時間だけで楽しい気分にしてくれた。

 

というライフの話でした。

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好きなもの①深夜ラジオ

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 ブログを始めてまともに記事を書くのはこれが初めて、なので自己紹介代わりに数回にわたって自分の好きなものを紹介していきたい。

まず一回目は深夜ラジオ。

なぜ、私がラジオを聞くようになったかというと、きっかけは2009年にNHKFMで放送された今日は一日“SF・ヒーロー”三昧という番組だを聞いたのが始まりだ。

当時、無類の特撮好きだった小学生の僕は、この番組が放送されることをネットで知り、我が家の奥底に眠っていたラジカセを引っ張り出してきた。父親にチューニングのやり方を教えてもらい、数時間にわたる放送を聞いた。

そのとき素直に「ラジオってこんなにおもしれーんだ。」と感じた。

ラジオを聞いたことはあった、車の中、店の中で

だけど、自ら進んでラジオを聞いたのはこのときが初めてだった。

ここからラジオを聞く生活が始まった。

まずは地元の山梨のFM局であるFMーFUJIの平日夜9時から芸人さんたちがやっていたラジオを聞くことにした。

特に印象に残っているのはななめ45°さんとタイムマシーン3号さんのラジオだ。

ななめ45°さんは初めて送ったメールを読んでくれた上に私がそこら中で使っているラジオネームぽっくんを考えてくれた。

タイムマシーン3号さんはメールを読んでくれた上にカレンダーにサインを入れたものをプレゼンとしてくれた。

嬉しかった。初めての芸能人のサイン。

当時、小学生ないし、中学生が送ったつまらないメールを面白くしてくれる芸人さんを尊敬していた。

 

ある日、夜遅くまで起きていたとき、たまたま地元のAM局にあわせた。そこでたまたま聞いたラジオ。それがオードリーのオールナイトニッポンだ。

 

と長々と駄文を書くのもいかがかと思うので続きはまた別記事で。ありがとうございました。

 

 

はじめまして、はじめました

はじめまして、ぽっくんといいます。 ある方のブログを読ませていただき、「自分も良い文章を書きたい!」と触発され、ブログを開設しました。
少しばかり自己紹介をさせていただきますと

大学一年でこの春二年になります。
好きなものは
ももクロ(れにちゃん推し)
特撮
お笑い(特にオードリー)
深夜ラジオ
などetc
と、言うところっすね。
まあ、気長に下手な文でも読んでいってやってください。